贅沢は敵か?


「贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」という標語は、日中戦争から太平洋戦争に突入していった日本政府が、戦争を推し進めるために張ったキャンペーンの一つとのことです。日本政府はこのキャンペーンで、国民に我慢を強いて統制して、挙国一致の臨戦体制にしようとしました。現代の日本国民は、こんな時代には2度と戻りたくはないでしょう。
そいうい意味で、戦後豊かになった日本人は、「贅沢は敵だ」という標語は、アナクロニズムの忌み嫌うべき言葉だと考えている人が多いことでしょう。その極端な反動の一例が、電通が1970年代に社内で提唱していた「戦略十訓」でしょう。【消費拡大の本質】2007/05/18 に書きましたが、再掲載します。
1.もっと使わせろ
2.捨てさせろ
3. 無駄使いさせろ
4.季節を忘れさせろ
5.贈り物をさせろ
6.組み合わせで買わせろ
7.きっかけを投じろ
8.流行遅れにさせろ
9.気安く買わせろ
10.混乱を作り出せ
さて、この電通のモットーと「贅沢は敵だ」の標語と、どちらが酷いでしょうか?
その背景にあった、「戦争推進」とか「自己を犠牲にして国家に尽くさせる」などという意味は抜きにして、その言葉そのものの意味を考えた場合、私は、「贅沢は敵だ」は酷い標語だとは思いません。電通の戦略十訓の方が遥かに酷い標語だと思います。 経済成長の為に・・・もっと端的に言えば、儲けるために、不要なものをどんどん買わせて無駄遣いさせて消費を拡大させ、資源の浪費と環境汚染を促進している標語なのです。
それに対し「贅沢は敵だ」を現代の社会に通じるように私の解釈を書かせていただきます。
例えば、割烹で大きなマグロを一匹注文して、ちょっとだけ口をつけて後は残す。(そう言う俳優がいたそうで、それを「大物だ」とTVで誉めちぎってヨイショしていた愚かなタレントがいました。) 例えば、プライベートジェット。石油燃料を湯水のごとく使ってたった数人で遠くへ移動する。(そして、ダボス会議などに出席して、「世の中を救う会議に出席した」などと自己顕示する,,,,)
彼らがこのような馬鹿馬鹿しい無駄な贅沢をする事によって、他の多くの人々が食べられる食糧、使える資源が減るのです。そういう意味では、「贅沢は敵」です。「敵」とまでは言わないにしても、誇るべき事では無いでしょう。それを、この様な「贅沢」をして、「自分は凄いぞ」と自慢する人が世の中にはごまんといます。「経済成長に協力している」と誇っている人までいます。
そんな彼らは社会の敵の部類では無いでしょうか?
つまり、「贅沢は社会の敵」なのです。まあ、私もたまには贅沢しますけれど、人から見れば、ほんの小さな贅沢です。これは、程度問題でもあります。一人で、平均的一般人の資源の消費量の数十倍、数百倍消費する人は、社会の敵と考えていいと思います。



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