人体は丁度いい発熱体
〜寒い時は体温保持〜
記事【人体は、最高の暖房装置】2023-2-17 の続きです。 そう言えば、私は、母にはドーピングばかりさせられてきたと思います(ちょっと大袈裟な表現かもです)。子供の頃、母は冬場は布団に電気アンカを入れてくれました。その為、電気アンカはある時期まで、冬場は普通に使うものだと思っていました。勿論、子供のことを思っての事だったのでしょうけれど、そのままではひ弱な子供になってしまいます。
小学校の教科書に「少年駅伝夫」と言う話が載っていました。話はよく覚えてはいませんが、今でも印象強く覚えている箇所があります。それは、
「客と一緒に吹雪に遭って、馬車の中で一晩寝ることになったのですが、非常に寒い中で、少年が作ってくれたワラを敷き詰めた寝床で暖かく眠れた」
と言うような内容です。それを読んで、「自分もワラの中で眠ってみたい」「暖房なんか使わなくとも、布団などをたくさん掛ければポカポカ暖かく眠れるんだ」と思いました。
その後、電気アンカを使わずに冬のいつ頃まで過ごせるか試してみたら、一冬使わずに過ごせました。
私は子供の頃、岩手県に住んでいましたので、冬はかなり寒かった筈ですが、我慢したのは最初の年くらいで、あとは冬場も寝る時には暖房を使わないのが普通になりました。中学に入ると、布団も少なくていいんじゃないかと、せんべい布団を敷布団、掛け布団各1枚だけ。ただし掛け布団は重めの布団を1枚敷いて、更に、足の方にその掛け布団を包むように(ホテルのベッドメイキングのように、)もう一枚の掛け布団か毛布、若しくはタオルケットを巻きました。だから、掛け布団は2枚と言えます。それで一冬を十分に越せました。岩手県の冬の明け方は、家の中でも氷点下になり、朝起きると足の血が引いて感覚がなくなっていることもありましたが、これも慣れれば大したことではありませんでした。
月日が流れて、何時の間にか、真冬は掛け布団1枚では耐えられなくなりました。暖かい職場で長年働いた事(私が暖房の温度を下げることは他の方に迷惑でした)と、長い期間、家族と共に同じ部屋に寝ていた為でしょう。そんなこんなで寒さへの耐性と基礎代謝が減ったのかも知れません。
現在も真冬でも暖房は使いませんが、掛け布団3、4枚+足を包む布団一枚になってしまいました。

冬場は、足元を包んで眠ればぬくぬくで、暖房は要りません。
中学時代より一人で寝る時の定番です。
中学生時代と違うのは、足を包む布団(毛布)以外に掛け布団の数が増えた事です。
かなり以前から、朝はタイマーで暖房が点くようにして、温まってから起きるようになりました。寒さには自信のあった以前とは、かなり変わってしまいました。人間はこうやってドーピングされていくんだと思います。ドーピングされていない人間ほど災害には強く、サバイバルを生き抜くのでしょう。
でも、猫のように炬燵で丸くなってはいられません。おそらく一生、寝てる間は暖房を使うことは無いだろうと思っています。
母はよく、人体は炬燵1個分の発熱量があると言っていました。それをずっと実感してきました。


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