自然の摂理に対する感覚の欠如
動物は、みんな本能を持っています。それは時に、彼等が生き延びるために不思議なほど的確な行動をとらせます。
肉食動物は必要以上に自分達の食料となる他の動物を殺しません。冬眠する前の熊だって、一冬分の食料以上は食い貯め致しません。本能で自分や自分の種の為に生き、それが結果として生態系の循環を作り出します。
動物の中で本能が最も退化しているのが人間でしょうか?
自分が一生かかっても使いきれないお金を貯めてもまだ貯めたい人間。 輸入してまで、食べきれないほどの食糧を宴席に出して、箸もつけずに捨てられている食べ物のなんと多い事・・・
しかし、人間は、本能なのか理性なのかは分かりませんが、昔から自然の摂理に対する感覚は持ち合わせていた筈です。その感覚が壊れている人間が、最近特に増えてきたのではないでしょうか?
自称先進国と言われている人々の余計なお世話によって、未開の原住民と呼ばれる人々は、最近めっきり減っていますが、未開人と呼ばれる人々の自然の摂理に対する感覚は、先進教育を受けた人々よりずっと的確でした。
「生態系」なんて言葉は使わないでしょうが、実に生態系の循環に沿った生き方をしていました。
リサイクル率100%、Re-cycle と言うより寧ろ、そんな恣意的な Re- という接頭語抜きの Cycle 100%、 使ったもの、食べたもの、体を通ったもの、全て自然の循環に回す循環率100%の生活をしていたでしょう。
そんな未開と呼ばれる人々でなくとも、江戸時代の日本だって循環率100%であったし、太平洋戦争前の日本人だって、自然に対する感覚を普通に持っていた人の方が多く、循環率も高かったでしょう。
少なくとも生態系の循環をしない地下資源を、現代のように乱消費していませんでした。
それがいつの頃からか、全くと言えるほど自然の摂理に対する感覚のない人が沢山現れました。
例えば、都会で生まれ育った人の中には、都会だけで世の中が成り立つことが出来ると考えている人がいるのではないでしょうか?・・・そこまで愚かでなくとも、都市が成り立つためには、その都市の何倍もの大きさの郊外の田舎;農地、森林、河川や海がなければならないことを分からない人間が多いのではないでしょうか?
生態系を循環しない地下資源を浪費することを平気でする人間、必要のないものを沢山生産し沢山消費することに不安を感じない人間・・・
もっと身近かな具体例で言えば、 生ゴミや抜いた雑草をビニールのゴミ袋に入れて、平気でゴミに出す人は、沢山います。そうじゃない人の方が少ないかもしれません。
若し、あなたも何の抵抗もなく生ゴミや草をビニールの袋に入れてゴミとして出すことに抵抗がなければ、自然の摂理に対する感覚が麻痺しています。・・・
都市に住んでいる人で、住宅事情によって、やむを得ず生ゴミをゴミ袋に入れて出す人はいるでしょう。・・・しかし、そんなことをしててはいけないと、抵抗感を感じなくなっては危険です。現代は、生まれたときから生ゴミをビニール袋のゴミ袋に入れて捨てたり、地下資源を生ゴミと混ぜて捨てるのに慣れた、自然の摂理に反する行為に抵抗を感じなくなった人が増えています。大変危険な状況です。
・・都会にいる人は生ゴミ処理機を購入しよう!・・という主張ではありません。生ゴミ処理機のように、生ゴミを処理するのさえ、電気などのエネルギーを使うと言う感覚も、自然の摂理に対する感覚の麻痺でしょう。
世の中で起きている環境破壊は、モラルハザードによるものも沢山ありますが、自然の摂理に対する感覚の欠如した人の所業に因る部分も沢山あるでしょう。だから、世界は破局に向かっているのです。
肉食動物は必要以上に自分達の食料となる他の動物を殺しません。冬眠する前の熊だって、一冬分の食料以上は食い貯め致しません。本能で自分や自分の種の為に生き、それが結果として生態系の循環を作り出します。
動物の中で本能が最も退化しているのが人間でしょうか?
自分が一生かかっても使いきれないお金を貯めてもまだ貯めたい人間。 輸入してまで、食べきれないほどの食糧を宴席に出して、箸もつけずに捨てられている食べ物のなんと多い事・・・
しかし、人間は、本能なのか理性なのかは分かりませんが、昔から自然の摂理に対する感覚は持ち合わせていた筈です。その感覚が壊れている人間が、最近特に増えてきたのではないでしょうか?
自称先進国と言われている人々の余計なお世話によって、未開の原住民と呼ばれる人々は、最近めっきり減っていますが、未開人と呼ばれる人々の自然の摂理に対する感覚は、先進教育を受けた人々よりずっと的確でした。
「生態系」なんて言葉は使わないでしょうが、実に生態系の循環に沿った生き方をしていました。
リサイクル率100%、Re-cycle と言うより寧ろ、そんな恣意的な Re- という接頭語抜きの Cycle 100%、 使ったもの、食べたもの、体を通ったもの、全て自然の循環に回す循環率100%の生活をしていたでしょう。
そんな未開と呼ばれる人々でなくとも、江戸時代の日本だって循環率100%であったし、太平洋戦争前の日本人だって、自然に対する感覚を普通に持っていた人の方が多く、循環率も高かったでしょう。
少なくとも生態系の循環をしない地下資源を、現代のように乱消費していませんでした。
それがいつの頃からか、全くと言えるほど自然の摂理に対する感覚のない人が沢山現れました。
例えば、都会で生まれ育った人の中には、都会だけで世の中が成り立つことが出来ると考えている人がいるのではないでしょうか?・・・そこまで愚かでなくとも、都市が成り立つためには、その都市の何倍もの大きさの郊外の田舎;農地、森林、河川や海がなければならないことを分からない人間が多いのではないでしょうか?
生態系を循環しない地下資源を浪費することを平気でする人間、必要のないものを沢山生産し沢山消費することに不安を感じない人間・・・
もっと身近かな具体例で言えば、 生ゴミや抜いた雑草をビニールのゴミ袋に入れて、平気でゴミに出す人は、沢山います。そうじゃない人の方が少ないかもしれません。
若し、あなたも何の抵抗もなく生ゴミや草をビニールの袋に入れてゴミとして出すことに抵抗がなければ、自然の摂理に対する感覚が麻痺しています。・・・
都市に住んでいる人で、住宅事情によって、やむを得ず生ゴミをゴミ袋に入れて出す人はいるでしょう。・・・しかし、そんなことをしててはいけないと、抵抗感を感じなくなっては危険です。現代は、生まれたときから生ゴミをビニール袋のゴミ袋に入れて捨てたり、地下資源を生ゴミと混ぜて捨てるのに慣れた、自然の摂理に反する行為に抵抗を感じなくなった人が増えています。大変危険な状況です。
・・都会にいる人は生ゴミ処理機を購入しよう!・・という主張ではありません。生ゴミ処理機のように、生ゴミを処理するのさえ、電気などのエネルギーを使うと言う感覚も、自然の摂理に対する感覚の麻痺でしょう。
世の中で起きている環境破壊は、モラルハザードによるものも沢山ありますが、自然の摂理に対する感覚の欠如した人の所業に因る部分も沢山あるでしょう。だから、世界は破局に向かっているのです。
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