原発に代替案は必要か?
「脱原発を主張するなら、具体的な代替エネルギーを提案しなければ、無責任だ」
と言う主張です。
「原発はとにかく危険だから、一刻も早く止めなければならない」
と言う脱原発派に対して、
「日本の電力は、もう40%も原発に頼っている、そのエネルギーの代替案を示さなければ説得力がない」
というものです。
本当に、原発の代替エネルギーの検討をする必要があるのでしょうか?
これまでの、このブログでの議論どおり、原発事故も核廃棄物も、他に類を見ない危険なもので、電力の利便性と比較すること事態が愚かなことです。さらに、現代のエネルギーの消費は、浪費と呼ぶにふさわしく、エネルギー消費の半減なんて、大した事ではありません。それだけでも、代替案は必要ありません・・・と断言致します。
しかし、今回はそういう議論を離れて、エネルギーの代替が必要か?つまり、原発が実質的に有効なエネルギー生産出来るか?と言うことを考えてみます。
何を今さら基本的なことを?って思うかも知れませんが、実は原子力発電は・・現在行われている核分裂発電も・・夢のエネルギーと言われていた核融合発電・・も(核分裂発電さえ、当初は夢のエネルギーと言われていました・・苦笑)実質的なエネルギーを生産しているか?と言う部分は、専門家の間でも議論のされている部分です。
エネルギー算出比とは、あるエネルギー供給システムの、投入するエネルギーに対して、出力として取り出せるエネルギーの比です。
単純に考えて、エネルギー算出比が1以上でなければ、そのエネルギー供給システムは無意味です。1リットルの石油を使って、機械などで掘り出す石油が1リットル以上でなければ、その石油採掘は、石油の浪費にしかならないと言うことです。
実際電力は、高品位の2次エネルギーで、(【電気エネルギーの正しい使い方】)利便性を考慮して変換するわけですから、その分の考慮をして、火力発電のエネルギー算出比0,35と比べても、原発のエネルギー算出比は、もっと低いのです。つまり、原発よりも、直接石油を燃やして発電する火力発電のほうが省エネになるのです。・・・この辺の計算は、近藤邦明氏の計算を参照して下さい。
HPか(著書『温暖化は憂うべきことか』p128~130、p138~140)
実は、原発のために投入するエネルギーよりも、出力するエネルギーのほうが少なく、原発は使い物にならないことは、エネルギー関係者の常識です。その常識を喋ってしまったら、自分達の仕事もなくなるし、これまでの原発政策が全否定されて、責任問題に発展するから、誤魔化しているのです。酷過ぎる話です。
一般に電力会社や原発を推進する政府は、このエネルギー算出比が4くらいになるような数字を出して誤魔化しています。
しかし、実はこの計算の中身には、投入エネルギーをかなり低く見積もったり、かなり抜けている部分があります。送電変電設備の建設費(原発は、需要の高い都会からかなり離れた僻地で作るから、特別に必要です。)夜間の揚水発電の建設維持管理費、など・・・でも、この金額は、まだ大したことではありません。凄いのは原発が使えなくなって停止してからです。
ERDA(アメリカエネルギー開発庁)では、積み上げ方式で、これまでかかった費用で算出しています。しかし、原発は、実は運転をやめてからの投入エネルギー(費用)が途方もありません。原子炉の廃炉の処理、放射性廃棄物の最終処分場の建設、と管理の費用・・・・
火力発電所は、建設と運転にエネルギーを使い、廃棄のときも、解体処分に一時的にエネルギーを使うだけですが、原発は違います。同じ発電規模で、建設費用も火力発電所の2倍くらい使い、運転にもウランの濃縮、運搬にかなりのエネルギーを使います。しかし、原発が使えなくなって廃棄後に、とんでもなく途方もないエネルギーを投入し続けなければならないのです。どのくらいかかるかは、誰も答えられません。わからないから、試算に入れなかったと言うふざけたような本当の話があります。
100万キロワット級の原発1基建設するのに、電力会社は3000億円以下の予算を立て、実際は4000億円以上かかっています。安全性を考えれば、さらに高くなります。
そして、その原発が、一応安全に運転を終えて廃炉となるときの処分費用は、一基あたり1兆円を越すと言われています。・・・しかし、これでも終わりじゃ御座いません。これから管理が、半永久的に続くのです。(人類の歴史の終わりまでと考えてよいでしょう)
六ヶ所村の再処理施設は、当初6000億円で作れると予算をとりましたが、実際は2兆円投入しても出来ませんでした。イギリス並みに安全基準を満たすなら(それだって安全ではあり得ませんが)5兆円くらい必要だとも言われます。
その再処理施設で、日本の原発の核廃棄物を処理する費用は、当初2兆円の見積もりだったのが、作りはじめて計算し直したら16兆円とか。それもその後の試算で30兆円まで修正されました。それも、2000年あたりまでの分です。原発が動いている限り、これから、もっともっと核廃棄物が出て来て、処理費用は上乗せされます。既に排出された放射性核廃棄物だけでも処分費用が50兆円超えるとも言われても、誰も否定できない筈です。
そして、最終処分場での費用は誰も試算のしようがありません。・・処分方法が決まっていないのですから・・・本当に安全な処分方法などないのです。
さらに原発の破局的な大事故が起これば、人的損害を含まなくても、物的損害だけで、日本の年間国家予算は超えると言われています。100兆円くらいでしょうか?・・・・・一基につき大事故が起こる可能性が1000年に1回と考えても50基なら20年に1回です。
【宇宙開発を考えるほどの馬鹿でなし】でも述べたように、おなかがすいたからと数粒のご飯粒を食べる為に、山に登るのは、逆にもっとおなかが減ります。
石油を100リットル掘る機械に200リットルの石油を使うのは愚かです。
そんな愚か者はいないでしょう・・と言いたいところですが、 原子力エネルギーは、これと同様な議論が成り立つのです。原発は、得られるエネルギー以上の石油のエネルギーを投入しなければならないという、情けなくてお話にならないレベルなのです。お馬鹿なだけでなく、ずるくて、核廃棄物の処理のためにどのくらいのエネルギーが必要か分からないから、はじめは試算に考慮しなかったのです。(核廃棄物はプルサーマルで使える価値のあるものとか言ってますが・・とんでも御座いません。プルサーマルの後の核廃棄物は超高レベル放射性廃棄物になるだけです)
以上エネルギーレベル(エネルギーは、必ずしも費用に比例しませんが、大雑把な目安にはなります。)から考えても、原発は、石油火力発電以上の石油を消費するのです。つまり、CO2も石油火力発電以上に排出するのです。
結論として、
原発は、石油を使った火力発電の代替にはなっていないのです。その段階で、原発の代替を考える事自体が無意味です。
因みに、原発の近くには必ず、その原発と同じくらいの発電能力のある補助の火力発電所があり、原発を停止させたときには、稼動させるように待機しているのです。これだけでも原発は火力発電の代替になっていないことは明らかでしょう。原発はこの上なく危険で頼りないだけでなく、とんでもない無駄遣いなのです。
だから、例え全ての危険性を考慮しなくても、原発はエネルギーの浪費であり、代替エネルギー案は必要ないのです。原発を廃止するだけで、立派に余分なエネルギーが使えるのです。言い方を変えれば、原発廃止が立派な代替エネルギー案です。
参考文献・・・主に定量的な部分に使わせて戴きました。
温暖化は憂うべきことだろうか CO2地球温暖化説の虚構 ;近藤邦明
新石油文明論 他 ;槌田敦
<地球環境読本>
エネルギーを使えば使うほど人間は貧しくなる :瀬尾健
ダーティーな原発があるから、電力会社は「省エネ」ができない;西尾漠
斜陽にあえぐ核融合は、プロパガンダで生き残ろうとあがいている: 吉岡斉
参考HP・・・主に定量的な数値を使わせて戴きました。
京都精華大学 細川弘明 授業公開
2002年第12回 2003年第11回、第12回
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