現代人の壊れた感覚
以前書いた【自然の摂理に対する感覚の欠如】の続きです。
現代は、自然の摂理に対する感覚が麻痺した人、欠如した人で溢れています。
人類の歴史と比べれば、ほんのごく短期間の、産業革命以降に現れた、持続可能でない現代社会。このある意味特殊な、破滅に向かっている経済成長神話社会で生まれ育ったのだから、自然の摂理に対する感覚が壊れているのも当然でしょう。
資源を大量に消費し、必要のないものを大量に生産し、大量に消費することに不安を感じない人。生態系を循環しない化学物質・・・ビニール、プラスチック、合成洗剤・・・の製品を沢山作る生産者、使い捨てにする消費者
・・本来は気に病むべきですが、いちいちそれを気に病んでいたら精神が持ちません。・・・だから、考えないようにして・・・段々感覚が麻痺していきます。ドーピング状態の持続可能でないこの社会を疑うと云う、まともな感覚が錆び付いてきます。自然の摂理に反する行為に抵抗を感じなくなって、自然の摂理に対する感覚が壊れていきます。大変危険な状況です。
感覚が麻痺していくのならまだしも、生まれたときからそういう環境に育ち、それが当然だと思っている、はじめから感覚の壊れた人間で溢れているのかも知れません。
赤信号、みんなで渡れば恐くない・・・ではありませんが
ある意味、現代人の自然に対する感覚は、集団催眠状態と言えるのかも知れません。
産業革命以後の短い経験を根拠に「人類は今まで上手くやって来た・・・」という楽観主義・・・・「人類は破局に向かっている途中であるが、まだ破局に至っていない・・」ってただそれだけではないでしょうか?・・・現代社会は、理性のある人間が持続可能性を最優先に動かしている理想的な社会ではないのです。
現代の社会の構造が持続不可能である事は、至極当然です。でもそれを考えずに、経済競争に勝ってゆく事だけを想定して生きている人々が、自分の物的欲望ばかりに走り、気付いた時には、本人のみならず、社会全体が滅亡・・となる事だけは避けたいのですが、自然の摂理に対する感覚が崩れている人が溢れている現代社会が、社会が崩壊する前に、持続可能な方向に方向修正出来るのでしょうか?
現代は、自然の摂理に対する感覚が麻痺した人、欠如した人で溢れています。
人類の歴史と比べれば、ほんのごく短期間の、産業革命以降に現れた、持続可能でない現代社会。このある意味特殊な、破滅に向かっている経済成長神話社会で生まれ育ったのだから、自然の摂理に対する感覚が壊れているのも当然でしょう。
資源を大量に消費し、必要のないものを大量に生産し、大量に消費することに不安を感じない人。生態系を循環しない化学物質・・・ビニール、プラスチック、合成洗剤・・・の製品を沢山作る生産者、使い捨てにする消費者
・・本来は気に病むべきですが、いちいちそれを気に病んでいたら精神が持ちません。・・・だから、考えないようにして・・・段々感覚が麻痺していきます。ドーピング状態の持続可能でないこの社会を疑うと云う、まともな感覚が錆び付いてきます。自然の摂理に反する行為に抵抗を感じなくなって、自然の摂理に対する感覚が壊れていきます。大変危険な状況です。
感覚が麻痺していくのならまだしも、生まれたときからそういう環境に育ち、それが当然だと思っている、はじめから感覚の壊れた人間で溢れているのかも知れません。
赤信号、みんなで渡れば恐くない・・・ではありませんが
ある意味、現代人の自然に対する感覚は、集団催眠状態と言えるのかも知れません。
産業革命以後の短い経験を根拠に「人類は今まで上手くやって来た・・・」という楽観主義・・・・「人類は破局に向かっている途中であるが、まだ破局に至っていない・・」ってただそれだけではないでしょうか?・・・現代社会は、理性のある人間が持続可能性を最優先に動かしている理想的な社会ではないのです。
現代の社会の構造が持続不可能である事は、至極当然です。でもそれを考えずに、経済競争に勝ってゆく事だけを想定して生きている人々が、自分の物的欲望ばかりに走り、気付いた時には、本人のみならず、社会全体が滅亡・・となる事だけは避けたいのですが、自然の摂理に対する感覚が崩れている人が溢れている現代社会が、社会が崩壊する前に、持続可能な方向に方向修正出来るのでしょうか?
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