人間の判断力
日本に限らず、世界中の殆どの国家が、いまだに「成長戦略」を政治、国家戦略の重要な部分に置いています。それにもかかわらずバブルの崩壊やデフォルトなどの経済危機が世界的な広がりを見せています。世界中の多くの自然が消滅し資源も減少しています。そして何よりも資源の開発と浪費によって、深刻な環境破壊、環境汚染が地球の至る所で起こっています。様々な問題が対症療法的にしか解決されずに肥大化されて先送りされて来ました。資源の奪い合いも激しくなってきています。毎年毎年数え切れないくらいの生物の種が絶滅しています。そう、成長の限界に達した今世紀は、様々な危機が互いに絡み合って次々に【複合大崩壊】が起こるでしょう。様々な要因が複雑に絡まっているとも言えそうですが、簡単に言えば、根本原因は、「工業化」と「経済成長主義」でしょう。
何故人類は、高々数百年前に始まった工業化と経済成長を絶対視するのでしょう?・・・人類の持っている楽観主義は一つの大きな要因でしょう。【短い経験】に描いたように「いつの頃からかは分からないけれど、現在まで人類は進歩を続け、世界経済は成長を続けてきた。これからも浮き沈みの波はあっても、科学は進歩し続け、経済も成長し続ける・・・」みたいな進歩と成長神話が漠然と人々の心にあるのでしょう。
石川英輔氏は『大江戸リサイクル事情』の中で次のように表現しています。
「人間の判断力とは、ある傾向が3年続けば当分続くと思い、5年続けば半永久的に続くと思い、十年続けば未来永久に続くと思う程度の浅はかなものである」
定量的な事を言及する事は困難ですが、妙に言い得ています。
日本でば、いまだに「高度経済成長期」と呼ばれる時代を追いかけているような感じです。バブルもはじけて20年以上経ちますが、それでも「我が国は、経済大国であり、工業立国の先進国である」と大部分の国民が「自覚」しているようです。成長戦略としてのお馬鹿な景気対策をいまだに国を挙げて行っています。(新政権は、財政政策、金融緩和、成長戦略の「三本の矢」なんて旧態依然としたを言っていますが、その矢は飛ぶ方向も定まらず、多くが国民めがけて飛んで来るでしょう。)
【現代人の壊れた感覚】で、持続可能でない異常な浪費社会に生まれ育った現代人の、自然の摂理に対する感覚が麻痺し、欠如した人々を描きましたが、石川英輔氏は『大江戸リサイクル事情』で、「大変な事になるから起こる筈が無い」という因果関係が逆の本末転倒な狂った発想をする現代の人々を紹介しています。
バブル時代の「日本の土地価格は上がり続けて値下がりしない」という土地価格神話の根拠を銀行家は「日本の産業は成長を続けるしかないから、面積の増えない土地は値上がりするしかない、万が一それが行き詰ったら大変な事になるから、政府は何とか行き詰らないような政策を続けるだろう」のように言っていたそうです。・・おそらくこれで、原発の5重の防御壁…のように経済成長や土地価格は完全防御されていると思っていたのでしょう。つまり、日本人は勤勉で日本製品もいいし技術の蓄積もあるから日本の経済は強い・・万が一危機になったら直ぐに「強い政府」が財政、金融政策で何とかしてくれる・・・と考えていた人々ばかりだったのでしょう。・・・しかしそれは、原発の5重の安全防御壁のように簡単に破れてしまったのです。
またある学者の講演で
「太陽エネルギーだけでは今の数分の一の人口しか養えない。森の思想とか植物の思想と言う人は、そこへ行く前に何十億もの人間をどう始末するか教えて欲しい」と話していたので驚き、「正直、教えて差し上げる気にもならなかった」と述べています。この学者の発想は、ステレオタイプの経済成長主義者、原発推進者などの発想です。ここのサイトにも似たようなコメントをよこす輩が時々います。完全に自然の摂理に対する洞察が欠如しています。物質的にほぼ閉じた系である地球は、外部から入ってくるエネルギーは太陽光だけなのですから、望む望まざるに関わらず、最終的には太陽エネルギーの範囲で暮らさなければならないわけです。それを考慮せずに地球の中で「エネルギー開発」をして、地球の資源のポテンシャルエネルギーを使えば使うほど、資源は枯渇に向かい、地上のエントロピーは増加して、地球は汚染されるのです。それなのに現代の多くの政府は、この学者の理屈のように考え、次々にエネルギーを開発し、一時的に食料を増産して更に人口を増やし、問題を肥大化させて先送りしているだけです。
現代社会に住む人々は、短期的に成功した工業化経済成長社会の現代社会は、過去数十年続いた「実績」から、永遠に続くと考えていて、危機が訪れても、政府が何とか対策を講じて続けさせてくれる・・と、特に意識しなくても漠然と考えている人が殆どでしょう。
でも、理性で考えればそれは不可能な事で、このままではいつか制御不能な崩壊が始まるでしょう。だから、出来るだけ自然を残して環境を汚染せず、「その時」に備えるべきです・・。
話はちょっと脱線しますが、小学校に入学の頃、・・2,3年生になっても・・小学時代はまだまだずっと続く・・・と「半永久的」な感じがしたものです。それが、6年生の卒業式当日になってやっと、小学生活にも終わりが来る事を実感しました(笑)・・・本当に最後の最後まで、人間は「終わり」を実感出来ないものかも知れません。それが必ずしも悪いことだとは思いません。逆にいい場合も沢山あるでしょう。しかし、もしも確実に悪いことが起きると知っていたならば、全員避難している事でしょう。問題なのは、「破局」がいつ訪れるか分からない事と、本当に破局がやってくるとは実感出来ない人が大部分であると言う事です。・・理性で考えれば確実にこのままの経済成長はあり得ないのに・・・
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