外部不経済の内部化は可能か。
『循環の経済学』では、「外部不経済の内部化」に意義を唱える何人かの意見を紹介しています。
先ず、玉野井芳郎氏は
「いわゆる外部不経済として説明される環境の破壊は、それがたとえ市場で解決されると主張されるにしても、現実には非可逆的な影響が生態系に加わりかねないと言う事は誰の目にもわかってきた」
と述べています。全くもってその通りでしょう。放射性廃棄物を典型例として、廃棄物の中には、処理しても無毒化出来ないものが色々あります。例え無毒化出来てもそれ以上に他を汚染してしまう場合が多いのも事実です。
槌田敦氏は
「廃棄物の問題は、循環の断絶したところから生ずるものですから、これを修復せずに、単に費用負担と言う従来の経済学の範疇で考えるだけでは解答がえられない、廃棄物の費用負担は経済の利潤追求と矛盾します。資源を消費し、廃棄物になってから廃棄物処理の費用が必要になるから、費用の負担の積み立ても無いまま、廃棄物だけどんどん溜まっていく事になるのです。原子力発電の放射能が正にその状態です。」と説明しています。全くもってその通りでしょう。現在の福島第一原発事故の後処理も結局政府が税金を使ってやる事になるでしょう。・・・東電は責任を放棄して逃げる・・・と言うよりも、もう手に負えない状況でしょう。はじめから廃棄物の処理の費用まで積み立てるのならば、費用対効果が破綻する事は目に見えていますから、どの電力会社も原発には手を出さなかったでしょう・・・そうならなかった事は。完全に現在の経済システムが狂っている証拠です。原発に限らず、諸外国でも、環境汚染の費用負担はまともに為されておらず、酷い鉱業企業などは、鉱物を掘り起こした後は、廃棄物、環境汚染の費用は負担せずに計画倒産して、責任逃れをした会社などもあるのです。
大崎正治氏は
「外部不経済(社会的費用)を計測して負担する事によって「内部化」するという事は、現実の経済では被害者が満足するほどには実行出来ないのです。実際に出来ないから、理論がいつまでもテストされないでかえって期待を抱かせるわけです。この理論に期待を抱かせる事によって、現実の経済システムの進行が図られていると考えていいと思います。」と述べています。
これまた現代経済学の欠点をズバリ突いています。「外部不経済の内部化」は試されない理論であるのは、失敗する事が目に見えているからでしょう。それなのにこの「試されない理論」に期待感を持たせて矛盾だらけの現行の経済システムが続けられているのです。勿論アベノミクスもその典型的なお馬鹿な例の一つです。
こんな事で末期症状の現代資本主義の延命措置がなされているのです。
こうやって問題を先送りし肥大化させて行けばいくほど世界は絶望の淵に追いやられるのです。「外部不経済の内部化」する方策を考えるのではなく、コスト(汚染)の外部化を禁止、若しくは抑制すべきなのです。典型例は、放射性廃棄物のコスト(汚染)の内部化が出来ないのに原発を稼働させてはいけないと言う事です。
取り返しのつかない環境汚染状態になる前に(現在でも十分に酷い状況です。)一刻も早く現代経済システムを壊して、根本から脱資本主義を目指す広義の経済システムにパラダイムシフトすべきです。
参考文献
循環の経済学 第2章 自由則と禁止則の経済学 多辺田 政弘 著
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