“D”は要らない
開発が進めば進むほど、成長すればするほど、その危険性がどんどんと強まります。丁度、バベルの塔を高く高く積み上げるほど、崩壊の可能性が高まり、崩壊の時期が早まり、崩壊の大きさが大きくなっていく事に例えられるでしょう。

SDGs と、それ以前から謳われてきた「持続可能な開発;Sustainable Development」との違いは、形式的には最後に「Goals:目標」 が付いただけです。
20 世紀の終わり頃から盛んに行われたその手の会議で、「持続可能な開発:Sustainable Development」という胡散臭い言葉は盛んに使われてきました。1992 年の「環境と開発に関する国際会議」(いわゆ る「地球サミット」)で採択された「アジェンダ 21」にも謳われています。勿論、SDGs の前身で ある、2001 年に採択された「MDGs:ミレニアム開発目標」にも明文化されています。
外務省の HP によれば、「持続可能な開発:Sustainable Development」という言葉は、
「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発のこと」
とされてい ます。
『この概念は、環境と開発を互いに反するものではなく共存し得るものとしてとらえ、環境 保全を考慮した節度ある開発が重要であるという考えに立つものである。』
とあります。
こんな定義を敢えて載せたと言うことは、殆ど全ての「開発」が、環境を破壊してきた歴史があるからでしょう。
「現在の世代の欲求を満足させるもの」とされている開発が、将来の世代にとって、負の遺産となった歴史があったと言う事に他ならないでしょう。
「環境と開発が互いに反するものでは無く共存し得るものとしてとらえ」 なんてわざわざ書いている時点で、脱力ものです。 確かに互いに相反する概念では無かった筈ですが、現在では「環境か、開発か?」などとトレードオフの関係のように考えられているのは、互いに相反する「実績」があったからでしょう。更に
「環境 保全を考慮した節度ある開発が重要であるという考えに立つ」 なんてわざわざ書くと言う事は、これまで如何に、「節度無い」、「環境に配慮しない」開発ばかり為されてきたと言う事の証でしょう。
環境破壊 を伴わない開発は、探すのに苦労するくらいにありません。実際に、1992 年の「国連環境開発会議」で、意見を求められたUNDP[United Nations Development Programme:国連開発計画]のチェリー氏が
「確かに不幸な開発もあったが、そうで無い開発もあった]
と発言した事に対し
「では、不幸で無かった巨大開発はどれか?」
との質問に、チェリー氏は答える事が出来なかったとの事です。国連開発計画の職員自体が、まともな開発を一つも挙げる事が出来なかったのです。しょうもない話です。「開発」=「環境破壊」という 共通認識が出来上がってしまったのも当然です。
これからも「環境」ではなく、「開発」が目標になった時点で、 環境破壊は免れないでしょう。そもそも「開発」するくらいならば、そのまま放置しておいたほうが 遥かに良かったという事例も、枚挙に暇がないほどに、過去のほとんどの「開発事業」が証明して います。
「開発」は「環境保全」の必要条件ではありません。「いじらずにそのままにしておく」と言う選 択肢も非常に重要です。SDGs には、その選択肢が無いように見えます。

だから SDGs[Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標]から、「D:Development: 開発」を取り去って、SGs(Sustainable Goals:持続可能な目標)だけにしたほうが遥かに理想的 な目標でしょう。 要するに、SDGsに“D”を入れたのは、経済界との妥協の産物であり、更なる開発に投資し、経済成長のための戦略 として作られた目標なのでしょう。 “D”:Development を目標に入れた段階で、SDGs は骨抜きの目標、若しくは別なところに目標があると言えましょう。この段階で既に SDGs は Sustainable:持続可能ではないと言えそうです。
“D”は要らないのです。 ・・と言うよりも、入れるべきではないのです。
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