「失われた30年」という発想
経済評論家・ジャーナリスト・アナリストはこぞって「失われた30年」を分析し、「何故経済成長できなかったのか?」「新興国に経済が抜かれた。」「このまま行けば失われた40年を歩むことになる」
・・等々嘆き、日本政府・企業の「失策」を非難し、危機を煽ります。
「経済成長しなかった事」を「失われた」と表現しているのです。なんとも貧しい発想です。
確かにアベノミクスなどのように、経済を無理に成長させようとして大失敗した愚かな政策もありました。しかし「経済成長」と言う名の「経済膨張」を、あの異常なバブルの延長で、続けていたら、とんでもない事になってしまった事でしょう。(現在まで続けることは無理で、直ぐに崩壊していた事でしょうけれど・・)
長い目で見れば、戦後の高度経済成長期からバブルの頃までが、異常な時期だったのです。その時期に、「経済成長」と言う名のドーピングで国民を躍らせて、持続可能性を次々に破壊してきたのです。20世紀後半のあの時期に、日本の(世界も)エコロジカルフットプリントは、持続可能な許容量を超え、崩壊へのカウントダウンを始めたと言っても過言では無いでしょう。
この30年間に経済成長しなくて、経済は他の沢山の国々に抜かれて行きましたが、絶対的に貧しくなったわけではありません。「格差」が開いていっただけです。累進課税が緩くなり、消費税などが増え、高額所得者を優遇している分、中・低所得者層への課税が増え、その層が貧しくなったように感じるのです。 経済が成長しないとは、定常状態が続くと言うことで、決して貧しくなる事ではありません。現在の経済規模でも、20世紀半ばのGDPの10倍近くになっているのです。GDPは、決して豊かさの指標ではありません・・。
これ以上経済成長したら、オーバーシュートが酷くなり、バベルの塔(バブルの塔)が崩れて、崩壊が早まり、その衝撃が大きくなるだけでしょう。

「失われた30年」と、経済成長しなかった事を非難するような貧しい発想の連中の言うことに耳を貸す必要はありませんし、彼らこそ、日本の持続可能性を破壊している連中なのでは無いでしょうか?
世界に先駆けて定常社会に移行してこそ、本当の意味での「世界が目指すべき国」と言えるでしょう。

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